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読書と散歩と雑巾がけ

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嵐のまえの静けさ

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でかけるというオットに「お昼、帰ってくるならお寿司買って来て、わたしはチラシで」ということで、特に何をしなければならないということもなくテクテク散歩、空は青いのぉ・・穏やかな年末、明日にはワカゾーくんも帰ってきます。

予想を大きく外してオット、おそろしくロープライスなスーパーのちらし寿司を買ってきやがりまして、それがまたケタちがいに酸っぱい酸っぱい。奥歯ガタガタいわせたろかこらあ!ではなくて「わたしのまえでは一生酸っぱいものの話はやめてね」と、釘をさしておきました。

***

言うまでもないことだが、一般の人間(僕や、たぶんあなた)は人生のある時点に差し掛かると、多かれ少なかれイノセントな世界と決別することを余儀なくされる。そうしないことには次の段階に進むことができないからだ。人は幼児から少年や少女になり、十代のアドレッセンスの時期をくぐり抜け、やがて大人の世界(世間)に入っていく。年を重ねるにつれて社会人としての責任をより多く引き受け、その役割りや分担を果たすようになる。そのたびに我々の価値観はシフトし、視野は更新されていく。新しい体系を習得するために、古い体系が一部また一部と手放されていく。もちろんそこには一連の通過儀礼があり、哀しみがあり、痛みがある。しかし人々は導きと学習によってそのプロセスを受け入れていく。そして「無垢なる世界」は過去の、もう戻ることのない楽園としてぼんやりと記憶されるだけのものになっていく。そのプロセスが、好むと好まざるとにかかわらず、一般的には「成長」と呼ばれる。しかし様々な事情で導きと学習がじゅうぶんでない場合、あるいは何らかの事情で新しい体系を受け入れることができない場合、イノセントな世界は手つかずの聖域として人の中に留まり続ける。

(「誕生日の子どもたち」訳者あとがきより/村上春樹)



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by dance3e | 2015-12-28 14:16 | かぞく | Comments(0)
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